伽藍紹介
山門
寺院の正面の門を山門といいます。もともと寺院は山に建てられたため、その門を山門と呼びました。お寺の名前の前に山号がつくのもこのためとされます。円明寺の山号は「威王山(いおうざん)」です。正式には「威王山 円明寺」という名前です。
山門の左前に「不許葷酒入山門」(葷酒(くんしゅ)、山門より入(い)るを許さず)と刻まれた石柱があります。葷酒とは、臭いの強い野菜(ニンニク、ニラ等)や酒のことで、修行の妨げになったり、心を乱したりします。それらが、お寺の中に入ることを許さないということです。(なかなか厳しい教えですので、山門の横の通用門から入れば許すと現住職は、解釈しています。)
本堂
山門から入り正面にある大きな建物が本堂です。大きな寺院では仏殿とか講堂とかいろいろな名前の建物がありますが、一般的な寺院ではそれらを兼ね備えた建物を「本堂」と呼び御本尊を安置し、法要・法話を行う場となっています。円明寺の本堂は昭和43年に落慶し現在に至っています。本堂内の正面の須弥壇(しゅみだん)上には、「子安地蔵菩薩(こやすじぞうぼさつ)」と「釈迦牟尼如来」が安置されています。子安地蔵菩薩は安産や子供の健やかな成育を願うお地蔵様です。
本堂の正面奥に進むと開山(かいさん)堂(位牌堂)があります。その正面に御開山像が安置され歴代住職の位牌が並んでいます。両側には、円明寺の檀信徒の位牌が納められています。
鐘楼堂
山門の右側に大きな梵鐘があります。正式には鐘楼堂といいます。12月31日の午後11時15分頃から「除夜の鐘」を撞いています。除夜の鐘は、正式には108回撞くことになっており、人間の煩悩の数といわれています。円明寺では108回を一応の目安として来られた皆さん全員に撞いて頂いています。(昭和61年に梅谷 孝様が寄進されました。)
十三重の塔
観音堂の前に十三重の石塔が有ります。この石塔は、明治から昭和初期にかけて栄えた神戸の「鈴木商店」に建立されていたそうです。鈴木商店というと大きな店というような感じがしますが、当時、三井・住友と肩を並べた貿易商社でした。米騒動(1918年)の時に米の買い占めをうわさされた鈴木商店は、焼き討ちに遇い、その後、金融恐慌(1927年)で倒産しました。詳しい遍歴はわかりませんが、この石塔は、現在の楠ヶ丘にあった「スタンダード」と呼ばれた農園の外国人のヘルム氏の洋館に設置されました。楠ヶ丘の住宅地が造成された際に円明寺が譲り受けました。「石塔の側面が黒くくすんでいるのは米騒動の時の焼き討ちの跡や」と前住職がよく言っていました。(加古川市教育委員会指定文化財です。)